医療機器開発の世界では、技術と人命が交差する特別な瞬間がある。
その交差点に立ち続けて40年近く—私は「命を守る機械」の開発と、その技術の意義を伝える仕事に携わってきた。
CT・MRIといった画像診断装置から、ミリ単位の精度で手術をサポートするロボティクス技術、そして今急速に広がりつつあるAI支援の医療プラットフォームまで。
私たちが日々開発する「機械」は、単なる金属とプラスチックの集合体ではなく、患者さんの命と向き合う医療従事者の「目」であり「手」となる存在だ。
1991年から日立製作所の医療システム事業部でエンジニアとして20年、そして独立後はメディカルライターとして13年以上。
その間、私が常に自問し続けてきたのは「なぜこの技術が今、必要なのか」という問いである。
目次
阪神淡路大震災が与えた人生の転機
被災経験がもたらした気づき
1995年1月17日午前5時46分。
大阪大学の研究室で夜を明かし、ようやく仮眠していた私を激しい揺れが襲った。
阪神淡路大震災—この未曾有の災害は、当時大学院生だった私の人生の方向性を決定づける出来事となった。
震災後、私は友人たちと被災地のボランティアに参加した。
そこで目の当たりにしたのは、医療インフラの脆弱さと、限られた設備の中で奮闘する医療者たちの姿だった。
「技術で命を救う」という信念の芽生え
「もっと頑丈な医療機器があれば」
「停電でも使える診断装置があれば」
「遠隔地からでも専門医の診断が受けられるシステムがあれば」
被災地を巡るたびに、こうした思いが私の中で強まっていった。
医学部ではなく工学部に進んだ私にも、命を救うための貢献ができるのではないか。
それが、私の中で芽生えた確信だった。
医用工学への進学とその背景
私が大阪大学の医用工学専攻を選んだのは、単なる偶然ではなかった。
幼い頃から機械いじりが好きだった私は、高校時代に人工心臓の開発に関するテレビドキュメンタリーに衝撃を受けたのだ。
「機械で命を救う」というコンセプトは、当時の私にとって目から鱗の発想だった。
阪神淡路大震災での経験は、その思いをさらに強固なものにした。
そして震災の年に修士課程を修了した私は、日立製作所の医療システム事業部への入社を決意したのである。
医療機器開発の最前線で見たもの
CT・MRI装置の設計に携わって
日立では最初の5年間、CTスキャンの設計チームに配属された。
X線を使って人体の輪切り画像を撮影するこの装置は、当時すでに医療現場では不可欠な存在だったが、まだまだ進化の余地があった。
そこで私が取り組んだのは、より短時間で高精細な画像を得るための技術開発だった。
撮影時間が30秒から15秒に短縮できれば、息止めが困難な高齢患者さんや小児の検査がより容易になる。
画像のノイズを低減できれば、より少ないX線量で検査が可能になり、患者さんの被ばく量を減らせる。
その後MRI開発チームに異動した私は、より強力な磁場を利用した3テスラMRIの開発に携わることになった。
現在、この3テスラMRIは主要な大学病院や先進医療施設には標準的に導入されており、より微細な脳の構造や機能を可視化することが可能になっている。
現場の声と開発のギャップ
しかし開発に没頭する中で、私は次第に違和感を覚えるようになった。
最先端の技術開発が必ずしも医療現場のニーズに合致していないという現実に気づいたのだ。
例えば、あるプロジェクトでは最新のデジタル信号処理技術を駆使した高機能な画像処理ソフトウェアを開発した。
私たちエンジニアは自信作だと思っていたが、臨床評価のために訪れた病院で耳にしたのは「使いにくい」「従来のもので十分」という声だった。
「より高精細な画像を」と追求するエンジニアと、「より使いやすく、より安定した装置を」と願う医師たちの間には、時として大きな隔たりがあったのだ。
「1mmの精度が、命を分ける」現実
開発時代の恩師である杉本教授から私が学んだ最も重要な教えは「1mmの精度が、命を分ける」という言葉だった。
ある日、脳腫瘍の手術前検査にMRIが使われる様子を見学する機会があった。
脳外科医は画面上の小さな影に注目し「この1mmの違いが、手術の成否を分ける」と語った。
腫瘍と重要な神経組織の境界が1mm違うだけで、患者さんの術後の生活の質が大きく変わってしまうのだ。
その日から私は、開発する機械の先にある患者さんの顔を常に意識するようになった。
技術仕様書の数値の向こう側には、常に人の命がある。
このことは、私のエンジニアとしての原点となった。
独立とメディカルライターへの転身
工学と臨床の”翻訳者”としての挑戦
日立で17年が経った頃、私は一つの決断をした。
独立して、医療機器メーカーと医療現場の橋渡し役になるという選択だ。
当時、医療機器の開発現場では「臨床現場のニーズがわからない」、医療現場では「なぜこんな使いにくい設計なのか」という不満が常にあった。
両者の間には、言葉や考え方の壁が存在していたのだ。
そこで私は、工学と臨床医学の両方の言語を理解する”翻訳者”として、両者の架け橋になろうと決意した。
この背景には、医療機器の発展には開発者と臨床医の密接な協力が不可欠だという確信があった。
ライターという選択肢の意味
「なぜエンジニアからライターへ?」—これは私がよく受ける質問だ。
確かに一見すると異なる分野への転身に見えるかもしれない。
しかし私にとって、メディカルライターという職業は単なる文章を書く仕事ではなく、技術と医療を「言葉」でつなぐ重要な役割だった。
技術を深く理解し、その意義を正確に伝える—それは開発者と臨床医、そして最終的には患者さんをつなぐ架け橋となる仕事なのだ。
私が運営する「メディクライン」では、医療機器メーカーの技術資料や論文の執筆支援から、医師向けのトレーニング資料の作成、さらには一般向けの医療機器解説まで、幅広い領域で活動している。
「語る技術者」としての新たな表現手法
独立後、私は「語る技術者」を自称するようになった。
技術を語るとは、単にスペックや機能を説明することではない。
なぜその技術が生まれたのか、どのような課題を解決するのか、そして患者さんや医療者にどのような価値をもたらすのかを伝えることだ。
私の記事や講演では、数値データだけでなく、開発に携わった人々のストーリーや、実際に機器を使用した医師の声、そして何より患者さんの体験を重視している。
技術の「向こう側」にある人間の物語こそが、医療機器の真の価値を伝えると信じているからだ。
注目の医療技術とその背景
画像診断機器の進化と臨床への影響
現在の画像診断機器は、私が日立で開発に携わっていた20年前と比べて、驚くべき進化を遂げている。
最新のMRIでは、AI技術を活用した画像再構成技術「Advanced intelligent Clear-IQ Engine(AiCE)」が導入され、従来では困難だったノイズの少ない鮮明な画像が得られるようになった。
この技術により、従来17分かかっていた撮影が1分45秒で済むケースも報告されている。
これは単に効率が良くなっただけでなく、長時間の検査が困難な高齢者や小児の負担を大きく軽減するという臨床的意義がある。
CTの分野では、被ばく線量を大幅に低減しつつ、より詳細な画像を得られる技術が実用化されている。
さらに「Photon Counting CT」といった次世代技術の開発も進んでおり、画像診断はさらなる革新期を迎えようとしている。
整形外科ロボティクスの可能性
整形外科領域では、手術支援ロボットの導入が急速に進んでいる。
特に注目すべきは、股関節と膝関節の人工関節手術に保険適用が認められた「Mako(メイコー)システム」だ。
このシステムは、術前に患者一人ひとりの解剖学的特徴を3Dモデル化し、それに基づいて最適な手術計画を立案する。
さらに手術中は、ロボットアームが骨切りや人工関節の設置を正確にサポートする。
従来の手術では、医師の経験や技術に依存する部分が大きかった人工関節の設置位置や角度を、ミリ単位の精度で実現できるようになったのだ。
これにより術後の痛みの軽減、機能回復の向上、人工関節の寿命延長につながることが期待されている。
こうした高精度な医療機器開発を支えているのは、横浜の医療機器開発に特化した専門企業の存在だ。
ISO13485認証を取得し、厳格な品質管理システムのもとで革新的な医療機器を生み出す企業の技術力が、日本の医療の未来を切り拓いていく。
AI支援プラットフォームが変える医療の未来
AI支援プラットフォームが変える医療の未来
AI技術の医療応用も急速に進んでいる。
「AMIAS(アミアス)」のような医療画像診断支援AI統合プラットフォームは、様々な医療画像診断支援AIプログラムと病院内のシステムを連携させる基盤として注目されている。
これらのプラットフォームは単にAIアルゴリズムを提供するだけでなく、医療現場のワークフローに自然に溶け込む形で利用されることを目指している。
診断支援AIの例として、MRI画像から肝細胞がんを検出するシステムの開発が進んでおり、放射線科医の負担軽減と診断精度の向上に期待が寄せられている。
また、2021年には「医療AIプラットフォーム技術研究組合(HAIP)」が設立され、医療AIサービスの普及・発展に向けた基盤技術の研究開発が進んでいる。
この組織は医療AIの開発から評価、実装までを一気通貫で担う基盤の構築を目指している。
技術と倫理のあいだで
開発現場で感じた倫理的ジレンマ
医療機器開発において、技術的な課題と同じくらい重要なのが倫理的な側面だ。
私が日立時代に直面した最大のジレンマの一つは「コストと性能のバランス」だった。
より優れた性能を実現するために高価なパーツを使えば、装置の価格は上昇する。
しかし高価格化は、その装置を必要とする多くの医療機関や患者さんの手の届かないものにしてしまう。
一方で、コストを優先すれば性能や安全性が犠牲になるリスクがある。
開発者として「最高の性能を」と追求する気持ちと、「より多くの人に届く価格で」という社会的責任の間で、私たちは常に葛藤していた。
この経験から私は、技術開発においては「誰のため」という視点が最も重要だということを学んだ。
ジェンダー視点の欠如と向き合う姿勢
医療機器開発におけるもう一つの倫理的課題は、ジェンダーバイアスの問題だ。
長らく医療機器の開発は、標準的な体格の男性を基準に行われてきた。
例えば、私がMRI開発に携わっていた頃、装置の寝台や内径のサイズは「標準的な日本人男性」を基準に設計されていた。
その結果、身長の高い人や体格の大きい人にとっては狭く感じられ、反対に小柄な女性や子どもにとっては位置調整が難しいといった問題があった。
また診断アルゴリズムの中にも、無意識のバイアスが入り込むことがある。
例えば心疾患の症状は男女で異なることが知られているが、従来の診断基準は男性の症状を標準としていたため、女性の症状が過小評価されるリスクがあった。
現在私は、医療機器の解説記事を書く際にこうしたジェンダーバイアスの問題にも言及するよう心がけている。
技術の進化は、多様性への配慮と一体であるべきだと考えるからだ。
岡村氏が言葉に込める「配慮」と「正確さ」
メディカルライターとして私が最も重視しているのは、「配慮」と「正確さ」のバランスだ。
「配慮」とは、文章を読む人の立場や心情を想像することだ。
例えば、がん診断装置の記事を書く際には、その文章が実際にがん患者やその家族の目に触れる可能性を常に意識している。
希望を持たせ過ぎず、かといって冷たくならず、現実に即した正確な情報を伝えるバランスが求められる。
「正確さ」は、技術的な詳細を専門家でない人にも理解できるよう翻訳する作業だ。
専門用語をただ平易な言葉に置き換えるだけでは、本質が失われてしまうことがある。
大切なのは、その技術の「なぜ」と「どのように」を、読者の知識レベルに合わせて伝えることだ。
私の記事では、数値データや技術仕様を示すだけでなく、実際の臨床現場での使用事例や患者さんの体験談も織り交ぜるようにしている。
技術と人間の両方の視点があってこそ、医療機器の真の価値が伝わると信じているからだ。
精密さへの執着とその原点
模型飛行機とライティングの共通点
私の休日の楽しみは、精密な模型飛行機の製作だ。
一見すると医療機器開発やメディカルライティングとは無関係に思えるこの趣味だが、実は深い共通点がある。
模型製作では、0.1mmの誤差が全体のバランスを崩し、飛行性能に影響を及ぼす。
一つひとつのパーツを丁寧に組み立て、細部まで精密に仕上げる作業は、CTやMRIの設計と本質的に同じなのだ。
そして文章を書く際も、一語一語の選択が全体の印象を左右する。
技術的に正確でありながら、読み手の心に響く文章を目指す姿勢は、精密な模型製作のプロセスと驚くほど似ている。
0.1mm単位のこだわりが育む文章
模型製作では、目に見えないような微細なバリ(樹脂の突起)も丁寧に取り除く。
一見すると過剰に思えるこの作業が、完成品の質を大きく左右するのだ。
ライティングにおいても同様で、一見すると些細な言葉の選択や句読点の位置が、文章全体の読みやすさや説得力を決める。
特に医療機器の説明文では、一語の不適切な表現が誤解を招き、場合によっては臨床での判断に影響を与えかねない。
私は常に「推敲は削ぎ落とすこと」という姿勢でライティングに取り組んでいる。
余分な言葉を削り、本質的な情報だけを残す—それはまさに模型製作で余分な部分を削り落とし、理想の形を現出させる作業と同じなのだ。
技術者としての美学が文章に宿るとき
長年エンジニアとして働いた経験は、私の文章スタイルにも大きな影響を与えている。
技術者としての思考法—論理的で、構造化された、証拠に基づいたアプローチが、私の文章の骨格となっている。
しかし同時に、私は文章に「感情」を宿らせることも大切にしている。
どれほど優れた医療機器であっても、それを使う医師や、その恩恵を受ける患者さんの感情を無視しては、真の価値は伝わらないからだ。
私の理想とする文章とは、精密な機械の中に込められた開発者の熱い想いが感じられるものだ。
精密さと情熱—この一見相反する要素の融合こそが、私の目指す「技術者の美学」なのである。
まとめ
技術と命のあいだで生きるということ
医療機器の開発から、その価値を伝えるライティングまで—私の40年に渡る仕事は常に「技術と命のあいだ」を行き来するものだった。
技術者として追求する「精密さ」「正確さ」「革新性」は、決して自己満足ではない。
それらは全て、患者さんの「命」や「生活の質」につながるものだからこそ意味を持つ。
同時に、医療技術は単体では存在し得ない。
それを適切に使いこなす医療者、その恩恵を受ける患者さん、そして社会全体の医療への期待や不安—こうした人間的側面と常に向き合うことが、技術と命のあいだで生きるということなのだ。
岡村智昭の仕事観と人生観
私は時々、若いエンジニアからこんな質問を受ける。
「岡村さんはなぜ、より良い条件のメーカーに移らずに独立したのですか?」
確かに、大手メーカーのエンジニアから独立系メディカルライターへの転身は、世間的には「キャリアダウン」と見られるかもしれない。
しかし私の中では、この選択は「キャリアチェンジ」であり「使命の進化」だった。
私は技術者として様々な医療機器の開発に携わったが、次第に「より良い機械を作ること」以上に「その価値を正しく伝えること」の重要性を感じるようになった。
どれほど素晴らしい技術も、その価値が正しく理解されなければ、患者さんの元に届かないからだ。
私の仕事観の根底にあるのは「技術と人間を繋ぐ」という信念だ。
そして人生観の中心にあるのは「一人ひとりの命の重さ」への敬意である。
「誰かの命を救う技術」が社会にもたらす意味
最後に、私が伝えたいのは「誰かの命を救う技術」の持つ社会的意味だ。
現代社会では、テクノロジーの進化が時として人間性を脅かすと危惧されることがある。
AIやロボットが人間の仕事を奪うという不安も少なくない。
しかし医療技術の進化は、そうした懸念を超えた価値を持つ。
それは「命を救い、苦痛を和らげ、生活の質を高める」という、人間の根源的な願いに応えるものだからだ。
画像診断技術の進化は早期発見と適切な治療につながり、手術支援ロボットは患者さんの回復を早め、AIの活用は医療者の負担を減らしながら診断精度を高める。
これらの技術の真の意義は、単なる効率化や省力化ではなく、「より多くの人々に、より良い医療を届ける」という点にある。
私は今もなお、技術と命の接点に立ち、両者を繋ぐ言葉を紡ぎ続けている。
なぜなら、技術はそれを必要とする人々のために存在するということを、私たちは決して忘れてはならないからだ。